何一つ無駄な経験はない?の話

こんばんは、みずきです🐱

今回はサクッと本題に。

人生には何一つ無駄な経験はない。。。? 

その人自身がその事柄に関して、

感覚として、実感があるなら、その通りかと思います。

ただ、もし、思考で理解していたとしても、それが自分の感覚的な部分から発せられていない場合は、自分の感覚を否定する材料にもなるかなぁ~と思った事を発端に、この内容を書いています。

あと、感覚として、そう思えている体験とそう思えていない体験を、丸っと一つにしちゃうこともあるかもなぁ~とも思いました。

分かりやすく(?)ネガティブベースの話を書きます。ポジティブな内容は、『この体験、経験して良かった~!』って思う事が殆どかと思うので◎

例えば、Aという苦しい体験を通して、この体験は価値があった!良い経験だった!と感じたとします。

次に、Bという苦しい体験をした時も、Aの体験から、思考で『 いやいや、人生に無駄な経験なんてないぞ! 』って思った、自身に言い聞かせたとします。

でも、Bという体験は、Aという体験と違い、思考でそうしたので、そのBという苦しい体験が本当に必要だったと感じていない場合(まだ、あの体験は辛かった~嫌だった~と、ネガティブな感覚として残ってる)

Bという体験に対して

『 あんなに苦しく辛かったのに、あの経験が無駄だったなんて思いたくない! 』

とネガティブベースがありながら、そう思い込もうとしている。

Aの体験は消化済みですが、Bの体験は未消化なお話です。

ネガティブベースの場合、どんなに思考でそう思おうとしても、

『 いや、あの経験、体験はしなくてもよかったじゃん!辛かったよぉ~! 』など

感じている。それが残っているので、思考で無かったことにしようとすると、自己の感覚を否定しているような状態になります。

自己の感覚を否定していると、本来の感覚を発揮しずらい状態かと思います。

その状態の時は、まず『 いや、あの経験、体験はしなくてもよかったじゃん!辛かったよぉ~! 』って思ったうえで、そのネガティブの反芻ではなくて、その体験を少し俯瞰して見ていきます。

しなくてもよかった体験と思っていても、事実として、その体験をしたわけなので、その体験をどう捉えてもよいので、否定状態になっている時は、否定状態を認識出来た上で、肯定的にとらえ直した方が、感覚の流れがスムーズになります。

ただ、ライトなやつは一人でも出来ますが、重めの内容だと、結構難しく感じる事もあるかと思います。

難しい場合の理由としては、

・その人にとってネガティブに感じる要素が強く、視点を切り替えるのが難しい
・その苦しい体験として受けたショックや複雑な感情、環境などが入り混じっている

因みに、自身を守るために『 思考 』が働き、一時的に自分を守れる思考、考え方を採用した防衛反応な事もあるので、悪い事ではありません。

そういった場合、時間を空けて向き合う事で、切り離しや、別視点を持ちやすくなることもあります。

そして、ポイントとしては、感じたネガティブはそうではない方の感情が知りたかったり、欲しかっただけなので、それが、思考ではなくて感覚で理解すると、あ、この感覚が知りたかったんか~と分かって、結果

『 この経験、体験は、こういう事だったのか! 』と、

肯定的になり、その人にとっての価値になるのかなって思います。

そこでやっと、

『 人生に何一つ無駄な経験は無い 』

と感じられる。。。

ただ、究極的な話として『 人生に対して、そもそも無駄のあるなしを語れるのか? 』という、さらに高い視点になると、あれれ?って思ったりしますよね^^

これは、人生が無駄か、無駄ではないかの感覚を感じたい訳ではなく、体験として、どんな経験も、『 無駄な経験は無い 』と自身が感じられた瞬間の満たされる様な感覚(ここはご自身が感じられるどんな感覚にも置き換えて貰って)をえられる事が、その人にとって大事な感覚なのかなと思いました🌸✨

深い部分で、自身の体験、経験が、血となり肉となりますよう^^

それでは、また~🐾✨