愛の表現アレコレの話

自己の癒し

こんばんは、みずきです🐱

先日の新月は天秤座新月(しかも日食あり)とあって、関係性のバランスに関しての学びというか、気づきというか。。。そういったことがあった方もいらっしゃいますでしょうか?

私自身も、ドンピシャでアセンデットマスターの講座を受けにいっていたので(しかもハートチャクラ(第4チャクラ)にリンクした内容)結構ガッツリこってり。。。感じさせて頂きました。

なのでちょっとチャクラ寄りの話を書いていこうかな?と思います。

。。。と、その前に

今日から3日間(10/20・金~10/22・日)SPACE K 代官山 さんで行われます企画展

代官山zooに作品を展示して頂きます♪(お面も作りました~🐯笑

企画展なので、参加者も40名、作品も120点となるそうです@@スゴイ

お近くお越しの際は、お気軽に足を運んで頂けたら幸いです^^

さて、しばらく書いていなかったスピリチュアル寄り?なお話。

今回はチャクラをちょっと混ぜて書いていきます。

『 愛の表現アレコレ 』

先日のアセンデットマスターの学びが、ハートチャクラ(第4チャクラ)に関連する内容だったのと

その時出たお話で、『 身近な人ほど、愛する事が難しい 』そして『 遠い存在、例えば、今世界のどこかで苦しんでいる人々へ愛を送るのは簡単に出来るのに。。。』と、この感覚分かる~!という方、いらっしゃるかな~と思い書いてます。

まず先に、『 愛 』それ自体と『 愛の表現 』は少しニュアンスが変わる事をイメージ頂けたらと思います。『 愛 』自体は、常に存在し、というか、私達自体が愛の存在な訳ですが、愛の存在だからと言って、『 愛の表現 』は、”その人”を通してなされる事なので、純粋な『 愛 』そのモノとは少し変わってしまうので、ここでは『 愛の表現 』として記します。

で、身近な人に愛を表現するときに、何故、遠くの人の様に簡単に表現できないと感じるかというと、身近な場合、自身の純粋な表現だけでなく他の感情も混ざったり、さらに相手の表現も一緒に受け取る事が多いからかと思います。

関係性が浅かったり遠かったりすると、隣人の親切や愛情に対して素直に反応出来ますが、関係性が深かったり、また色んなしがらみ等を考えてしまうと、自己の反応すら、調整してしまう事はあるかと思います。

人は、近しい関係であればあるほど、相手にこうあって欲しいや、自分のこうでなければの様な、愛の表現に対する、細かい要望希望癖等、色々が出てきます。(自分も相手も)

それは執着だったりコントロールだったりも含まれます。愛なのに?って思うかも知れませんが、根底に愛が流れているとしても、近い存在に対しては、色んな希望などが出てくる場合があります。これは、個々の持つ第2チャクラや第3チャクラ、あとは根底の第1チャクラなど、色んなチャクラが一緒に反応ていて起こります。

で、先に書いた、関係が浅かったり、遠い存在だと表現しやすいのは、ある意味純粋に自身の内側から湧き上がる愛情で、それをそのまま表現することが出来ます。関係が深い人と違い、他のチャクラの反応が薄いので、第4チャクラのハートから、直ぐにそれを表現出来るので、愛を送りやすいと感じられるんだと思います。

とはいえ、関係が浅いと純粋な愛を送りやすいかもしれませんが、関係が深い人との愛の交流は、その深さによって幸福感等が格段に変わってくると思います。

私達が、日々、湧き上がる愛を表現したいと感じる事、また、それを表現する事自体は個人の自由です。しかし、沢山の人が現代の色んな決まりの中で生きる中で、そのまま表現することに対しての良し悪しの判断は個々に委ねられている部分でもあります。

道端などで親切でやった事を否定されてショック。。。みたいなものも、これかと思います。”その人”にとっての親切で『 愛の表現 』を行っても、それが必ずしも、相手の表現と一致するかというとそうではありません。

どんな表現が愛情なのか、『 この表現は愛情なのか? 』と疑問を感じる事もまた、その人がその人の人生で積み重ねてきた、沢山の人からの『 愛の表現 』によって形作られています。

『 愛の表現 』が似ていれば、違和感を感じる事は少ないかも知れません。ただ、『 愛の表現 』が違うからといって、必ずしもそこに愛が無いかというと、そうではありません。基本的に、皆、湧き上がる愛を表現したいから行動に現れるのかと思います。 

『 愛の表現 』をもっと自由に、軽やかに行いたいと思ったら、自分の『 愛の表現 』を知り、また、それに対する相手の反応や表現を見て、すり合わせていくしかありません。妥協とも違うので、そこは『 愛の表現 』が先ほどの第1~第3チャクラのネガティブな側面で見えなくなっていないか、自分の表現をよく見ていくしかありません。

ただ、相手の反応や表現によって、自分の放った『 愛の表現 』の質が変わる事は無いかと思います。『 愛の表現 』が伝わる、伝わらないは別として、愛の本質が変化することは無いと思っています。

それが分かるだけでも、『 愛の表現 』がとても自由である事が分かります。

そして、折角表現するなら、伝わった方が良いな!とは思いますよね^^笑

しかしこればかりは、色んな人と交流して、それぞれの良い塩梅を見つけていくしか無いのかな?と思います。

そして、相手が受け取らない、受け取れない事に対して、大きく反応しなくていいのかな?とも思います。何故なら、自分自身も、色んな場面でその逆をしているはずなのです。

先に書きました、道端での親切などは、そういった事が分かると、自分がのびのびと愛を表現できます。

また、身近な人や、関係性が深い人に愛を表現する事は、とても奥深いやり取りだという事。その試行錯誤も含めて、愛の深さでもあるのかな?とも思います。

そしてこれは、何も外側に対してだけではなく、自分自身に行う事で、その安定感や深さを高めていく事が出来ると思っています。

つい『 愛の表現 』と言うと、外側の関係性ばかり意識がいってしまいますが、もし外側で安定性に欠けるなら、やはり自分の中の『 愛の表現 』への偏見や固定概念がある事も多々あるかと思います。勿論、その人らしさの偏りは、その人の能力として大切にしたら良いと思いますが、そうではない、他のチャクラのネガティブな反応が、『 愛の表現 』への見方を偏らせたり妨げたりするなら、そこは、そのチャクラへの調整が大切だと思っています。

そして、どんなに愛の交流を願っても、中々上手く出来ない事も、関係性の中では起こってくることもあるかと思います。

そんな時、どちらが悪いとかではなく、今はその段階である事を愛の視点をもって感じる事が出来ると、その交流が上手くいかない事に対しての不安感や否定感はなくなってくるのかな?と思います。

勿論言うは容易いですが、家族間や親しい間柄でこういったことは起こりやすいと思うので、どんなに根底に愛があると感じても(知っていても)、それによって深く傷つく事があるのなら、適切に距離を取る事も『 愛の表現 』であると思います。

そして、過去に同じ『 愛の表現 』をして受け取って貰えなかったからといって、それが永遠に続くわけでもありません。

人は常に成長し、変化し続けています。それはそのことに真摯に向き合ってきたなら尚の事感じる事かと思います。それは他者に対しても、同じ視点を向けられるからです。

自身の環境や、成長を経て、過去に受け取った『 愛の表現 』をしみじみ味わう事も多々あるかと思います。(特に、一人暮らし始めましたとか、子育て中に感じる方も多いかと)

『 愛の表現 』に完璧な答えはないかと思いますが、結局のところ、愛の交流が起こる事でそれは増幅し、さらに周りへと広がっていくものなので、自分の表現に固執せずに、色んな表現を知り、『 愛 』そのものを広げていけたら良いのかな^^と思います。

💗最後に、ちょこっとハートの癒し方💗

・胸に手を当てて、ショックや悲しかった苦しかった等否定的な何かを受け取った時は、まず、そのままの感情を認めます。

・次に、何故そのやり取りでショックや否定的なモノを受け取ったのか見ていきます。(同じ事をされてもショックを感じる人もいれば感じない人もいるので、自分は何故そこに反応するのかを見ていきます)

・多くの場合、過去に受け取ったネガティブな体験、経験が出てくることが多いので、その時も同じように悲しかったり苦しかった、否定的な感情があった事を認めて、その時の自分に優しく声をかけて癒していきます。(この過去の癒し方は色々あると思いますが、感情を認めると、少し軽くなったりするのが分かるかと思います)

※癒しの時に、天然石(ローズクオーツやセレナイト)がある方はそれを胸に当てると行いやすいかも知れません

・その時感じられるレベルで大丈夫なので、それを行う事で、少しその重たかった感情が洗い流されて、別の視点を持つきっかけになったりします

 

長々と書きました~^^笑

『 愛 』の色々な表現を深く深く感じていけたら良いですね💕✨

それでは、また~💗🐱🐾